第7回 AIは、あなたの考えている「なめらかさ」を理解できません 〜感触を“翻訳”すれば、基礎化粧品の処方探索はAIで前に進む〜

目次

はじめに~連載について~

サステナビリティは、いまや材料開発の前提条件となりました。性能と環境負荷を両立する「選ばれる素材」をどう設計するか。

本連載では、「サステナブル時代の『選ばれる素材』開発ロードマップ~CrowdChemの300万件データと現場を繋ぎ、次世代R&Dの『最適解』を導き出す~」を主テーマに、全10回にわたり、弊社の取り組みや知見も交えながらご紹介していきます。

全10回タイトル:サステナブル時代の「選ばれる素材」開発ロードマップ
~CrowdChemの300万件データと現場を繋ぎ、次世代R&Dの「最適解」を導き出す~

なお、本記事は、全10回の連載のうち、第7回の記事となります。

基礎化粧品の開発に、AIを活用する。そう考えたとき、最初にぶつかる壁があります。「なめらかさ」を、AIにどう伝えるか。言葉のままでは、AIは扱えません。

しかし、手はあります。重要なのは、AIをただ賢くすることではなく、人が感じる「感触」を、AIが扱える数値や構造に置き換えることです。

基礎化粧品の価値は、「なめらかさ」「べたつき」「重厚感」といった感触に大きく左右されます。一方で、官能評価は評価者や環境によって結果が揺れやすいものです。開発初期に候補処方を比較・選定することは、容易ではありません。

候補を絞り込めないまま試作を重ねれば、時間もサンプルも多く消費します。これは化粧品に限らず、「使用感」や「風合い」のように測定しにくい価値を扱う素材開発全般に共通する課題です。

感触を、AIが扱える指標に翻訳する

「なめらかさ」や「べたつき」といった感覚的な表現を、粘着力(Tack Force)と破断時間(Break Time)という2つの測定値に翻訳しました。

粘着力とは、処方が肌から離れるときにかかる最大の引き剥がし力です。指で触れたときの「吸い付き感」に近い指標といえます。

一方、破断時間とは、伸びた処方が糸状に切れるまでの時間です。これは「糸引き感」や「重さ」に関係します。つまり、感触を完全に数値化するのではなく、感触に関係する測定可能な現象へ置き換えるのです。

たとえば、粘着力を高めると、保湿感や重厚感は増しやすくなります。しかし同時に、べたつきも強くなる可能性があります。破断時間が長すぎると、糸を引くような不快感につながります。

感触の良し悪しは、1つの指標ではなく、複数の指標のバランスで決まります。

ただし、感触ごとに翻訳先は変わります。粘着力と破断時間が主に対応するのは、「べたつき」や「重さ」です。肌をすべる「なめらかさ」であれば、摩擦の測定が翻訳先の候補になります。

どの感触を、どの指標に置き換えるか。その見極めが出発点です。

今回の狙いは、粘着力を高めながら、破断時間は同等以下に抑えることでした。しかも、元の処方を大きく崩さず、感触・安定性・規制リスクを同時に考慮しながら代替候補を探す必要がありました。

検討のベースとしたのは、P&Gのスキンケア処方特許(US 11,033,480 B2)に含まれるジメチコン系処方です。

図1 感触を“翻訳”した2つの指標

AIは答えを出すのではなく、探索範囲を絞り込む

探索は、3つの段階で進みます。

まず、処方を単なる成分表としてではなく、グラフ構造として扱います。グラフ構造とは、処方をネットワークとして表したものです。成分同士の関係、配合順序、中間状態、工程の流れ。それらを線で結びます。これにより、「何を使ったか」だけでなく、「どのように作ったか」までAIが扱えるようになります。

次に、LabDXの要因分析によって、粘着力に影響する重要因子を特定します。この事例では、増粘・感触調整剤であるDC9045(シリコーンエラストマーゲル)が最重要因子として示されました。

その結果を起点に、粘着力に効くシリコーン系成分の組み合わせを製品ライブラリから探索します。以下は、LabDXが挙げた候補の例です。

・KF-6013:元処方に近く、破断時間を短縮できる手堅い候補
・KF-6048:粘着力を段階的に高められるバランス型の候補
・KF-6180:保湿感を強める方向の候補
・DOWSIL™ BY 25-339:軽いローション型への転換を想定した候補

なお、これらは公開特許(US 11,033,480 B2)の実施例をもとにLabDXが導いた提案です。実機で検証した処方ではありません。4つは、同じ答えの言い換えではありません。手堅く寄せるか、粘着力を積み増すか、保湿感に振るか、軽さに振るか。

狙いの置き方ごとに、別の一手が用意されています。AIの役割は、無数の候補から「実験すべき数点」へ絞り込むことです。

その際、性能や感触だけでなく、D5(シクロペンタシロキサン)のような規制上の制約も合わせて評価できます。これにより、開発初期の迷いや試作回数を減らすことができます。

図2:LabDXの要因分析(公開特許 US 11,033,480 B2 の実施例をもとに解析。色が濃いほど粘着力への影響度が大きい)

なぜLabDXは、感触を翻訳できるのか

この仕組みを支えているのは、主に2つの要素です。

1つ目は、学習データの作り方です。今回のように公開特許を使う場合、特許情報は、そのままではAIの学習データとして使いにくい形式です。そこでLabDXでは、特許に記載された処方や工程情報を比較可能な形に整理します。

さらに、成分だけでなく、配合順序や中間状態、工程の流れまで含めてグラフとして学習します。背景には、300万件超の化学データと、開発プロセスそのものを表現する独自の学習グラフAIモデルがあります。

2つ目は、結果の見せ方です。要因分析では、「どの材料や工程が結果に効いたのか」を人が読める形で示します。AIの判断をブラックボックスのままにせず、次の実験設計に活かせる情報として提示することができます。

ただし、ここで得られる予測値は、あくまで特許データに基づく仮説です。実際の開発では、各社が持つ材料、装置、製造プロセス、評価データで検証・改善し、専用の開発基盤として育てることで、翻訳の精度を高められます。

図3:AIモデルによる検討プロセスと準備

測れないものは、本当に作り替えられないのか

「測れないものは、作り替えられない」。素材開発の現場では、長くそう考えられてきました。しかし本当の壁は、「感触が測れないこと」ではなく、「感触を測れる言葉に翻訳していないこと」かもしれません。

「なめらかさ」や「べたつき」を、測れる指標に置き換えられれば、AIはそこから先の探索を支援できます。この考え方は、基礎化粧品に限りません。

塗料の「塗り心地」、食品の「口どけ」、繊維の「風合い」など、測りにくい価値を扱う分野にも応用できます。感覚的な価値を、測定可能な指標へ翻訳する。その翻訳先が見つかれば、AIは素材開発の探索を前に進める力になります。

あなたの製品の「使用感」も、まだ翻訳されていない言葉のままかもしれません。「この感触は、どの指標に置き換えられるのか」。まずはその問いを1つ、お気軽にお寄せください。

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